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淀川紀行「朝焼け」

淀川の姫島駅近くに釣り船の繋留場がありました。
(大阪)北のビルが赤く染まり早朝の電車が行きかうころ、船頭が準備を始めます。

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by dukesaloon | 2015-12-22 16:10 | osaka | Comments(8)

「ハウスはリバーサイド」淀川紀行

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by dukesaloon | 2015-12-21 18:21 | osaka | Comments(2)

「明ける」淀川紀行

渡船場の河川敷にうっすらと霜がおりていました。
地中からの冷気に足の感覚がにぶっていますが、朝陽がゆっくり解していきます。


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(阪神電鉄姫島駅付近)

by dukesaloon | 2015-12-20 09:10 | osaka | Comments(0)

高田の「亥の子暴れ祭り」

桜井市高田地区(安倍文殊院の近く)に伝わる子供達が主役のお祭りです。
吊るした農機具のミニチュアやおひねりを引きちぎったり、お膳を蹴とばしてコナゴナにします。
暴れるほど豊作になると世話役のお母さんが説明されていました。

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by dukesaloon | 2015-12-07 19:26 | 大和路 | Comments(4)

京都で過ごした学生時代 第2章


「学舎は衣笠と広小路にあった」

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本通の向こうは糺ノ森で、時代劇映画のロケが頻繁に行われていた。

下鴨から衣笠学舎に行くには下宿前の三平屋を右に、直ぐの細い路地を左に出るとそこが「糺の森電停」で、京都市電に乗車。(この路地におでん屋さんがあった)
市電は、北大路通を走って烏丸車庫経由、大徳寺・金閣寺前を過ぎるとやがてわら天神電停で、そこからは歩いた。
烏丸車庫前で入庫することがあり、そのときは乗り継ぎ券で乗り換えた。
帰りは北野白梅町でパチンコをして帰るか、上七軒にある大学のバンド相方の家(正確には老松町にあるレース屋さん)でギターを弾いたり、コーヒーを淹れてもらったりした。
ここでビフカツを初めてご馳走になりとんかつ以外のカツの存在を知って驚いた。

広小路で部活があるときは、衣笠からスクールバスが便利で、生協で買った回数券で(たぶん一枚5円くらいだった)
国際モータースの貸切スクールバスに乗っていった。
広小路学舎の近くにはJAZZ喫茶「シャンクレール」四条河原町まで歩けば「マンホール」があった。
河原町通りの丸善で、梶井基次郎を気取って檸檬を置く真似をした。
(田舎育ちの青年には精一杯のパフォーマンスだ)

こんな風に書くと真面目に通学したように見えちゃうけど、下宿で小説を読み漁ったりJAZZを聞いたりして朝まで過ごし、夕方からバイトに出かけるというホステスさんのような生活をしていたのだ。バイトのお金はサントリーホワイトとと本とレコードに消えた。
オーディオはダイヤトーンDS-251MKIIをパイオニアのアンプで鳴らし、ビクターのターンテーブル、トーンアームAテクニカの先にデンオンのMC式カートリッジDL-103やシュアV-15type2を付けて悦に入っていた。(就職するとすぐSPとメインアンプは、JBLとマランツに変わった)
長岡鉄男さんの診断記事を読んでは、位相がどうのとかコンクリートブロックを床に敷くと音がどうとか言いながらボコボコ木造床の下宿屋で聴いていたのだから笑っちゃう。

九州のセメント工場とミカンのだんだん畑がある田舎町で育った少年が、東京でも大阪でもなく京都の大学を選んだのは、フォークソングの中心だったから。
ボクは、とりたてて唄が上手いほうではないのだけど、高校ではじめたバンドのメインVo、Gt 担当の相方が高くアマい声で楽器メーカーのポップスコンサートで県代表になった。
彼はのちにレコード会社にスカウトされ、呉服屋のあととりの彼は「唄を唄うべきか商家を継ぐべきか」悩んだ挙句、家を継いだ。多感な青年にとって切実な岐路だった。
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津久見港



たぶん続く^^;


(このエントリーは、2010年の記事を再編集し画像を更新したものです)
by dukesaloon | 2015-12-02 19:41 | 京都で過ごした学生時代 | Comments(2)