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PEARL NECKLACE

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Meijimura Museum Inuyama(2005)

あの時、好きと言える勇気があったら
もっと早く出逢っていたのなら











by dukesaloon | 2010-10-31 17:53 | PEOPLE | Comments(12)

あの日に帰りたい

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Shonairyokuchi Park Nagoya(2007)


こんな昔がありました
懐かしくなって昔の写真をデジタルカメラで撮影
このときの曲(コピー)もメモしていました

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知らない町で
走っておいでよ恋人よ
幻の翼と共に
春はしずかに通り過ぎてゆく
雨上がり(オリジナル)
愛の光



でも精いっぱい生きている今も大好きなのだ

Sofiaさんつぶやきありがとう










by dukesaloon | 2010-10-30 18:09 | RAIN | Comments(12)

ありがとう。

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Kansai International Airport(2010)

笑顔でアテンドしてくださるCAさんにいつも助けられます。
どれだけの勇気をもらっているかわかりません。
口に割り箸をはさみ鏡を見ながらの笑顔練習を想像し、感謝の気持ちでいっぱい。
ワルノリして、哀愁旅情シリーズで^^


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Sendai Airport(2008)



by dukesaloon | 2010-10-29 09:23 | JAPAN | Comments(10)

天空の輝き

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Above Matsuyama(2010)

「ご搭乗のお客様にコックピットからご案内します。
ただいま飛行機の右手後方に雲上の夕焼けが広がり、雲上のドラマが展開されております。
到着地の天気は晴れ温度は11度との報告です。
狭い機内ではございますが、到着までどうぞゆっくりとお寛ぎください。」



PS:このたびリンクさせて頂いております野本暉房さんが「平城遷都1300年記念「入江泰吉賞」を受賞されました。
誠におめでたいことですのでココにご紹介させて頂きます。詳しくは野本さんのHPに掲載されています。
by dukesaloon | 2010-10-28 00:06 | DAWN and DUSK | Comments(24)

G'morning

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Shonairyokuchi Park Nagoya(2005年)

今日も素晴らしい一日の予感♪
by dukesaloon | 2010-10-27 05:00 | DAWN and DUSK | Comments(6)

京都で過ごした学生時代 第4章

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月鉾


高校を卒業し郷里から京都に向かうときの事を書いておかないと忘れてしまいそうです。
当時の荷姿は、蒲団袋と柳行李と言うのが定番でした。もちろん単身宅配パックのようなものはありません、引越し荷物を「チッキ」で送ります。この「チッキ」と言うのはJRが国鉄の時代に運用していたサービスで、乗客が移動する際の荷物を別の貨車便で運んでくれると言うもので、出発駅に乗車券と荷物を持ち込んで薄っぺらな預かり証明書を受取り、到着駅で荷物を受け取るという便利なシステム。たぶん、そうしないと客車中が荷物だらけになるほど、当時の乗客の荷物量は多かったのだろうかと想像する。

そのため帆布のように頑丈でガサガサの布製蒲団袋(たぶん赤玉フトン袋)のなかに、家長の次に上等な蒲団一式と毛布、シーツと枕に夏用のタオルケットをいれてもらい、その隙間に割れないように新聞紙で養生したお茶碗とコップなどを入れた。
柳行李には、楽譜や辞書と母が買ってきてくれたラーメンなどを詰め込んだ。

「そうか!」
柳行李が定番だったのもこの鉄道輸送の影響なのか。なにせガッチリ頑丈にできており、多少の荷重が上に掛かってもびくともしない作りだ。現在(いま)の貨車と言うと産業用のイメージが強いのだが、その中にはそれぞれの思いがいっぱい詰まった荷物がかさ高に積まれていたのだ。因みにチッキはチェックが変化したものだと覚えている。

その後に揃えた数少ない電気製品は、電気ポット・電熱器、電気スタンドで入学してから学生生協で調達したもの。(あとの電化製品は持参したパナソニックのラジオと親爺のお古のブラウンシェーバーだけか)それなのに何故かサイフォンがあったりした。珈琲はイノダに限る、とか云って嬉しがっていたものだ。

高校の卒業式が終りそれぞれの仲間が旅立っていくたびに、クラスメーツは夜行列車(寝台特急☆彗星)の出発する時間、駅に集合して見送った。だけど最後の友達は誰が見送ったのか聞いたことが無い。
実は、この駅こそが伊勢正三の「汽車を待つ君の横でボクは、時計を気にしてる」の舞台とされる駅なのである。この唄の君は東京から切なく去って行くのだが、その後ボクは加川良の「京都の秋の夕暮れがダッフルコート無しでは寒いくらいで」と独白しながら、デザートブーツとジーンズでギターケースを抱えて河原町を歩くようになった。

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下鴨中通 ホワイトを買った酒屋さんは健在だ

バイトの事を少し書いておきます。
最初は京都高島屋の屋上ビアガーデンで白衣の上着を着てビールジョッキ運びをしていたのだが、特大ビアジョッキ6杯も持つとこれはメチャクチャ重く、酔っ払いお客さんの接客が不慣れで直ぐに厨房に入った。そこでは枝豆を茹でたり、トマトを6Pに切って半分皮をむきサラダ用の仕込みをしたり、サンドイッチ作りなどをしていた。
でも、時給があまり良く無いのと夏場しかない仕事だったので、葵橋東詰にある焼肉中華屋さんで(最近確認したら今もありましたよ)働くようになった。どうしてココに勤める事になったのかはっきり覚えていないのですが、たぶんバイト情報誌か張り紙を見て飛び込んだのかもしれません。
当時この店は、家族全員が働いており、おばあちゃんと息子夫婦、そして3人の息子が交代で朝11時から26時頃までの営業で、ボクはお昼前から夜までの間随時に手伝っていました。近くには家庭裁判所や空手道場があったのて結構繁盛していました。

きっと続く

by dukesaloon | 2010-10-26 00:06 | 京都で過ごした学生時代 | Comments(4)

気がつけば11年、ありがとう

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(10月12日でHP開設11周年)

この一年、また素晴らしい出会いがいっぱいありました。
心躍るドラマも頂きました。
「ありがとう♪」の気持ちでいっぱいです。
これからもよろしくお願いします。


今年のお気に入り写真と大好きな曲♪をこの人の歌でどうぞ
FC2からexblogの変更も今年でした。
by dukesaloon | 2010-10-25 00:06 | PEOPLE | Comments(22)

京都で過ごした学生時代 第3章

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京都デート編

待ち合わせは、いつも京都高島屋の阪急電車出口。
四条河原町の南西にあるこのデパートの東南を下ったところに煙草屋があってその隣に地下出口があった。宝塚線沿線に住んでいた彼女は、十三で京都線に乗り継いでやってくる。すらりと背筋が伸びたスタイルと端整な顔立ちでタクシーに乗るとよく「歌劇団のかたですか?」と間違われ照れていた。

ここから八坂さんを通って蹴上、哲学の道を歩いたり府立植物園には下鴨を経由して5番市電で向かったりした。5番電車には植物園行きと高野行きがあって高野行きに乗っても北大路で乗り換えが出来た。
銀閣寺や金福寺、岡崎動物園もよく行ったし、たまには、順正で湯豆腐を頂いたこともあった。銀閣寺はハデハデな金閣と違って趣があり、最近の調査で白土を塗った観音殿で観月を意図して建設されていることが判明。

高瀬川沿いのミューズで音楽に浸ることもあった。このクラシック専門喫茶は、赤い椅子が2席ずつ同じ方向におかれクリーニングのきいた白カバーが格調高かった。SPはタンノイ製だったと思うが、この記憶は定かではない。ウィーンフィルやシカゴ交響楽団にを聴きはじめたのはこの頃からである。帰りに十字屋の2階でアルバム選びもたのしい時間だった。
百万遍の進々堂で遅めのランチを摂るのも楽しみで、大きなテーブルやベンチの客席、パティオ席でいただく本格的パンの味は格別で巴里の気分を味わえた。
夕飯は、祇園にあった山口大亭をよく使った。

植物園には、大きなケヤキ並木があり、小春日和の午後生まれて始めてここのベンチで膝枕をしてもらったときは、ドキドキで信じられないと思うが今と違って随分と世間知らずの少年だったのだ。クリスマスローズを覚えたのはこの頃だったかな。

(その後に、オープンした四条河原町阪急は先日閉店した。)
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つづく

by dukesaloon | 2010-10-24 00:06 | 京都で過ごした学生時代 | Comments(16)

京都で過ごした学生時代 第2章

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津久見港

セメント工場とみかん作りが産業である九州の田舎町で育ったボクが、どうして京都に向かったのかと言うと、当時はフォークソングが流行っていたからなのである。フォークソングと言えば、北山修や加藤和彦と言う年代もいるかも知れないけど、ボクらのころにもう彼等はビートルズのような存在になりかけていた。

友人の影響でボクは西岡たかしさんが大好きで「まぼろしのつばさと共に」や「これがボクらの道なのか」などを、市民会館のステージで唄ったものだった。ボクはそんなに唄が上手いほうではないのだけど、メインVo、メインGt 担当の友人は(つまりボクがサイドVoサイドGt)、メッポウ甘く高い声でCBSソニーにスカウトされた。彼は呉服屋のあととりでハムレットの心境で「唄を唄うべきか家を継ぐべきか」悩んだ挙句、あととりを選ぶことになった。

祇園祭の頃には、京都円山音楽堂で宵々山コンサートがあり、高石さんや加川、高田渡さんを目の当りにしてコーフンしたのだものだ。(吉田拓郎は来たんだっけ?)。
フォークソングが好きで「京都に行きたい」という誠に不純な動機で学校を選んだわけなのである。
そんなことで高校の先生からは難しいと言われたのだけれど、同志社と立命を受験して立命に行く事になっちゃったと言う訳。


祇園祭
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当時、学び舎は衣笠、部活は広小路という学生生活を送っていたのだ。衣笠にある学舎に行くには、市電で糺の森から北大路を走って、烏丸車庫前で乗り継ぎ券をもらってわら天神で降りて通い、帰りは北野白梅町でパチンコをして帰るか、上七軒にある友人宅(正確には老松町にあるレース屋さんの息子)でギターを弾いたり、サイフォンコーヒーを飲んだりした。
広小路で部活があるときは、衣笠からスクールバスが便利で、生協で買った格安の回数券(たぶん一枚5円くらいだったと思う)で、国際モータースのスクールバスに乗っていった。
広小路学舎の近くにはJAZZ喫茶シャンクレール、河原町まで歩けばマンホールがあったりした。河原町に歩いて行く途中には丸善があって、よく梶井基次郎を気取って檸檬を置く真似をした。(田舎育ちの青年には精一杯のパフォーマンスだったね)

こんな風に書くと真面目に通学したように見えるけど、実は必修を4回生まで持ち越して卒業が危うかったりした。もっぱら下宿で小説を読み漁ったりJAZZを聞いたりして朝まで過ごし、夕方からバイトに出かけるというホステスさんのような生活をしていたのだ。バイトのお金はサントリーホワイトと食パンとオーディオに消えた。

記憶は定かではないのだが、ダイヤトーンのDS-251mk2をパイオニアのアンプで鳴らし、ビクターのターンテーブル、トーンアームAテクニカの先にデンオンのMC式カートリッジDL-103やシュアV-15type2を付けて、長岡鉄男さんの言いなりに位相がどうのとかコンクリートブロックを床に敷くと音がどうとか言いながらボコボコ床の下宿屋で聴いていたのだから笑っちゃう。

たぶん続く^^;

by dukesaloon | 2010-10-23 00:06 | 京都で過ごした学生時代 | Comments(12)

京都で過ごした学生時代 第1章

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「京都市左京区下鴨宮崎町54」

今でも40年近い前の下宿先住所がスラスラと出てくるのが自分でも面白い。
友達から毎週のように届く手紙には、この宛名が蒼い細書きのハッパフミフミパイロットで端正に書かれており、その文字を幾度となく眼で追った。

河原町から葵橋経由植物園行き5番電車「糺の森」電停から西に入ったところがここの住所。
友禅絵付け職人さん宅の二階が僕の下宿だった。
「ガラガラッ」と格子戸を開けると二間ほどの石畳があり、左に蹲(つくばい)、右におじさんの職場があり、京の町屋が奥に長く広がっていた。
ちょっと足の悪い友禅職人のおじさんは、朝から晩までいつもこの部屋で色付けをしていた。
小太りのおばさんは、優しい人で「noriさ~ん電話ですよ~」と2階に声をかけて気安く電話を取り次いでくれ、黒く重いダイヤル式の受話器の向こうから聞こえてくる彼女の声に一喜一憂したものだった。
それでも足りないときはレッドの大瓶に貯めた10円玉をジャラジャラとポケットに詰め込んで糺の森電停近くにある公衆電話ボックスに話しに行った。この公衆電話はたまに10円玉が一杯になりいくらでも話せる状態になった。

下宿の部屋は、2階に在る4部屋と一番広い六畳間をベニヤ板で仕切って二部屋にした合計6部屋で、最初ボクは仕切った部屋の奥のほうに下宿した。
隣に住んでいる産大の一回上級の人が、新聞を読んでいるか辞書か漫画なのか紙質で聞き分けることが出来た。
1階にあるトイレは大家さんと共同で2階には洗面台が一つあるだけ。
ここで水を汲み電気ポットで湯を沸かしチキンラーメンが主食の毎日だったがそれほど貧しいと思ったことは無かった。
仕送りが届いたときは奮発し隣の下鴨飯店でレバもやし定食と焼き餃子や洋食屋「のらくろ」でトルコライスを奮発した。
風呂は二日に一回の割合で、近所の風呂屋に行った。
かぐや姫の神田川じゃないけど風呂桶を抱えて通い、石鹸箱が本当にカタカタ鳴った。このころは洗髪料金は追加で払った。
パチンコで勝つとお風呂の帰りに赤提灯で大根のおでんとゴボ天で麦酒を一本飲むのがこの上ない贅沢だった。


つづく

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by dukesaloon | 2010-10-22 00:06 | 京都で過ごした学生時代 | Comments(14)