京都で過ごした学生時代 第4章

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月鉾


高校を卒業し郷里から京都に向かうときの事を書いておかないと忘れてしまいそうです。
当時の荷姿は、蒲団袋と柳行李と言うのが定番でした。もちろん単身宅配パックのようなものはありません、引越し荷物を「チッキ」で送ります。この「チッキ」と言うのはJRが国鉄の時代に運用していたサービスで、乗客が移動する際の荷物を別の貨車便で運んでくれると言うもので、出発駅に乗車券と荷物を持ち込んで薄っぺらな預かり証明書を受取り、到着駅で荷物を受け取るという便利なシステム。たぶん、そうしないと客車中が荷物だらけになるほど、当時の乗客の荷物量は多かったのだろうかと想像する。

そのため帆布のように頑丈でガサガサの布製蒲団袋(たぶん赤玉フトン袋)のなかに、家長の次に上等な蒲団一式と毛布、シーツと枕に夏用のタオルケットをいれてもらい、その隙間に割れないように新聞紙で養生したお茶碗とコップなどを入れた。
柳行李には、楽譜や辞書と母が買ってきてくれたラーメンなどを詰め込んだ。

「そうか!」
柳行李が定番だったのもこの鉄道輸送の影響なのか。なにせガッチリ頑丈にできており、多少の荷重が上に掛かってもびくともしない作りだ。現在(いま)の貨車と言うと産業用のイメージが強いのだが、その中にはそれぞれの思いがいっぱい詰まった荷物がかさ高に積まれていたのだ。因みにチッキはチェックが変化したものだと覚えている。

その後に揃えた数少ない電気製品は、電気ポット・電熱器、電気スタンドで入学してから学生生協で調達したもの。(あとの電化製品は持参したパナソニックのラジオと親爺のお古のブラウンシェーバーだけか)それなのに何故かサイフォンがあったりした。珈琲はイノダに限る、とか云って嬉しがっていたものだ。

高校の卒業式が終りそれぞれの仲間が旅立っていくたびに、クラスメーツは夜行列車(寝台特急☆彗星)の出発する時間、駅に集合して見送った。だけど最後の友達は誰が見送ったのか聞いたことが無い。
実は、この駅こそが伊勢正三の「汽車を待つ君の横でボクは、時計を気にしてる」の舞台とされる駅なのである。この唄の君は東京から切なく去って行くのだが、その後ボクは加川良の「京都の秋の夕暮れがダッフルコート無しでは寒いくらいで」と独白しながら、デザートブーツとジーンズでギターケースを抱えて河原町を歩くようになった。

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下鴨中通 ホワイトを買った酒屋さんは健在だ

バイトの事を少し書いておきます。
最初は京都高島屋の屋上ビアガーデンで白衣の上着を着てビールジョッキ運びをしていたのだが、特大ビアジョッキ6杯も持つとこれはメチャクチャ重く、酔っ払いお客さんの接客が不慣れで直ぐに厨房に入った。そこでは枝豆を茹でたり、トマトを6Pに切って半分皮をむきサラダ用の仕込みをしたり、サンドイッチ作りなどをしていた。
でも、時給があまり良く無いのと夏場しかない仕事だったので、葵橋東詰にある焼肉中華屋さんで(最近確認したら今もありましたよ)働くようになった。どうしてココに勤める事になったのかはっきり覚えていないのですが、たぶんバイト情報誌か張り紙を見て飛び込んだのかもしれません。
当時この店は、家族全員が働いており、おばあちゃんと息子夫婦、そして3人の息子が交代で朝11時から26時頃までの営業で、ボクはお昼前から夜までの間随時に手伝っていました。近くには家庭裁判所や空手道場があったのて結構繁盛していました。

きっと続く

by dukesaloon | 2010-10-26 00:06 | 京都で過ごした学生時代 | Comments(4)
Commented by k7003 at 2010-10-26 18:51
「だけど最後の友達は誰が見送ったのか聞いたことが無い」という心の運びに、これぞ noriさん!と。( ^^) _U~~
Commented by でか at 2010-10-27 00:01 x
>デザートブーツとジーンズでギターケースを抱えて

この頃からイチイチカッコよかったんですね(^^;
Commented by nori at 2010-10-27 21:41 x
NKさん

ふふ、そこを読んでくださって嬉しいです。
最後の子はご両親の見送りだったかと。
次作まで少しお待ちくださいね。
Commented by nori at 2010-10-27 21:43 x
でかさん

ないすツッコミありがとうございます。
きっとワシントン靴店で購入、ミント油・・・
おっと、うっかりネタをばらしてしまいそうになったじゃないですか。
上手いんだから〜もう^^
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